貧困、病気、さらには紛争地に赴いた記者の行為に至るまで、あらゆることに言われるようになった自己責任。人々の直感に訴え正論のようにも響くため、根拠が曖昧なまま濫用されてきた。
本書はこのような自己責任論について、社会の構築と運営という広範で現実的な目的に即して、それが何を誤り、損なっているのかを精緻な分析によって示した、おそらく初めての本である。
自己責任の流行は欧米でも同じだ。それは哲学や社会学における静かな変容とともに始まり、1980年代初頭の保守革命の主要素となった。自己責任論が広く有権者の支持を得ると、意外にも左派政党がこれに追随する。本書はまず、政治における自己責任論の興隆を跡づけ、それが社会保障制度に弱者のあら探しを強いてきた過程を検討する。次に「責任」「選択」「運」をめぐる哲学者の議論をふまえて、被害者に鞭打つ行為をやめさせたい善意の責任否定論が、皮肉にも自己責任論と同じ論理を前提にしていると指摘する。じつはこの前提には、信じられているほどの根拠はない。そしてどちらの議論も的を外していることを明らかにしていく。責任とは懲罰的なものではなく、肯定的なものでありうるのだ。
福祉国家の本来の目的とは何だったか。自己責任論が覆い隠してきたこの原点への顧慮を喚起し、自己責任の時代から離脱するための基盤となる一冊。
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