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「アーティスト」が消失した次は、「個」が消える番だ。
復興、オリンピック、芸術祭、都市再開発、表現の自由――
“ブラックボックス化”した大正の前衛アートを手がかりに、
開かれた社会(パブリック)と「個」を探る画期的な公共/芸術論!
津田大介、青木淳、福住廉の三氏も対話に参加。
ウェブ版「美術手帖」での好評連載を全面改訂し、新たな論として更新。
「あいちトリエンナーレ2019」の“公開”検閲・展示中止を受けた対談も急遽追加。
大きなアートフェアや芸術祭に率先して「配置」されるアーティスト、
民営化されて「マジョリティ」しか入れなくなった公園や広場、
「滅私奉公」して作品を社会から閉ざしていく市民のタイムライン……
「みんな」「一般」の名のもとに、トップダウン/ボトムアップ双方から
個人が侵食されていくとき、新しい公共圏と自由をどうつくっていくか?
「個と公」の問題を、アーティストとアートの存在意義をテコにして実践的に考える。
目次:
はじめに 卯城竜太
1. いまアーティスト論を語るということ
2. 「マジョリティ」園の出現
3. 「にんげんレストラン」は生きていてた
4. 公化する個、個化する公
5. 日本現代アートの始祖・望月桂と黒耀会 +福住廉
6. 横井弘三が夢見た理想郷の建設
7. 大正の前衛が開いた個のポテンシャル
8. 「表現の自由」が問われた芸術祭 +津田大介
9. 新しい公共をつくる方法論とは +青木淳
10. アーティストたちよ、表層を揺さぶれ
おわりに 松田修
卯城による「日本の前衛」DIY年表
「近年、『個と公』のバランスが大きく変わるなかで、僕らには、アーティストというつくり手として、言いたいことがたくさんあった。対談内にウザいくらい出てくる『個』『アーティスト』『大正』といったいくつかのキーワードのうち、とくに『公』の使い方は、論として開始当時はガバガバだ。いまから見るとツッコミどころ満載だが、なぜ僕らがそれほどまでに幅広くいろんな集団や容れ物を『公』と呼びたかったのか。それがいったい何を示唆しているのか、だんだんとわかるようになってきたのは、僕らが自らを『私』ではなく、『個』として捉えることにこだわりを持っていると気づいてからだった」(卯城竜太「はじめに」より)
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