古典否定派・肯定派の本物の研究者があつまって論戦に挑んだ、2019年1月の伝説のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」の完全再現+仕掛け人による総括。古典不要論を考える際の基本図書となった本書を、これから各所で真剣な議論が一つでも多くされていくことを祈りながら刊行する。
2015年のいわゆる文系学部廃止報道以来、人文学や文学、古典の危機について論じる会合は少なからず開催されて来たましたが、編者は疑問を持っていました。それらはすべて身内の怪気炎にすぎなかったのではないか。本当にインパクトのある議論をするためには、反対派と対峙しないまま、必要論だけを語っていてはダメだ…本物の反対派を招聘し開催せねば。そこで開催されたのが、2019年1月のシンポジウム「古典は本当に必要なのか」です。登壇者は、【否定派】猿倉信彦・前田賢一【肯定派】渡部泰明・福田安典【司会】飯倉洋一の各氏です。
このシンポジウムは、インターネットでも中継され、使われたハッシュタグ「#古典は本当に必要なのか」は、センセーショナルでもあったため、シンポを離れトレンド入りし、多くの人がこのタグで、自らの古典観を語ることとなりました。
このシンポジウムで否定派が張った論陣はどのようなものだったのか。これに対して古典の研究者や中高の国語教員はどう反論したのか。その議論から浮かび上がった問題は何だったのか。本書はその様子を再現したうえで、当日のアンケート、インターネットによるコメント投稿を収録し、登壇者のあとがきを加え、最後に編者自身の総括「古典に何が突きつけられたのか」(3万2千字)を収録します。本書全体で、より深い議論への橋渡しにしようとするものです。人文学や文学、古典の危機について考えていく際の必読書にはからずもなっています。
【このシンポジウムを一書にまとめたいま、筆者が望むことは二つある。
第1に、「古典は本当に必要なのか」という問いに対して、それぞれが独自の回答を考えていただきたい、ということだ。筆者が提示したのは、一つの案でしかない。できれば登壇者のようなキャリア半ばをすぎた人々ではなく、20〓30代のこれからを担う世代にこそ、真剣に考えてほしい。この世代は、「世も末だな」と嘆くだけで済まない。放っておけば先細りが確実な古典の担い手として、実際に世の中を動かさなければならないのだから。
第2に、古典不要派、文学不要派と対峙する試みが、このあとも別の場所で開催されてほしい、ということだ。今回登壇いただいた否定派の方々は、決して特異な少数派ではない。サイレントマジョリティは、われわれが考えるよりはるかに多いのである。もちろん、登壇し、名前と顔とをさらして堂々と意見を述べてくださる否定派を探すことは、大変難しいだろう。しかし、それがもう一度叶えば、議論はまた別の深まりを見せるにちがいない。】…あとがきより
よく利用するジャンルを設定できます。
「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。