喜びへの希望
本書は西洋キリスト教文化圏における宗教的心性史研究の最高峰、〈楽園の歴史〉三部作の最終巻にあたる。第Ⅰ巻『地上の楽園』ではキリスト教初期の時代から18世紀まで、西洋の心性と多くの学究が素朴にかつ真剣に挑んできた「地上の楽園探し」(「創世記」のエデンの園はこの世のどこにあるのか)の総体を明らかにした。続く第Ⅱ巻『千年の幸福』では、千年王国論という異端の思想が歴史の伏流として同時に存続し、時代が動くたびにその影響力が突出した形で現れてくることを論証した。
一方、第Ⅲ巻の本書『幸福への希望』は、天国に幸福を求めた人類の努力とその帰結、すなわち、宗教的心性が各時代の学芸・文化をいかに刺激し発展させてきたのか、またそれらによって生み出された「天国」の形象が近代によっていかに解体されたかをたどる探究の書となった。そもそも、西洋的幸福感を強力に支配してきた天国とはどのように定義されてきたのか。その位置は、形状は、そこに住むのは誰なのかなど、無数の問いに対する回答が彫刻・絵画・音楽・建築物といったさまざまな文物によって提出されてきた。著者ドリュモーは、膨大な一次資料と考証によって「天国」を解き明かすが、31章にわたる長い探究の案内人として彼が選んだのは、15世紀ネーデルラント絵画の鼻祖、ファン・エイク兄弟の手になるゲント〔=ヘント。ベルギー〕の祭壇画(「神秘の子羊」)である。われわれは本書のさまざまな議論をたどった後、「天国」を決定づけたこの奇蹟の作品に立ち返ることを求められ、結論をそこに見出すことになろう。また、天国の形象を作り出したさまざまな文物への精緻な分析に立ち会いながら、「神秘の子羊」に描かれた細部を読み直すことになろう。こうした往還はおそらく、西洋キリスト教文化を支えてきた「人間の営為」そのものの理解へとわれわれを誘うはずである。
『恐怖心の歴史』(1978年、邦訳1997年)から始まる著者の心性研究のテーマは「恐怖心」から「安心感」、そして「幸福感」へと至るべく構想されていた。本書はまさに、著者が当初より見定めていた宗教的心性史研究の未踏の到達点である。(にしざわ・ふみあき 中世フランス文学)
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