出版社よりお取り寄せ(通常3日~20日で出荷)
※20日以内での商品確保が難しい場合、キャンセルさせて頂きます
1838年~42年、
イギリスがロシアの進出を警戒し、
インド権益を防衛する為、アフガニスタンを侵略したものの、
激しい反英闘争が起こりイギリス軍が撤退した戦争、
第一次英亜戦争(アングロ・アフガン戦争)を元に、
シェイクスピア学者が書き下ろした
血湧き肉躍るスペクタクル歴史小説!
「我らはみんな神秘の世界から横面を張りとばされている」
(ルーミー)
勒九(ロック)はアラカン国に亡命した山田長政配下の
日本人の末裔である。彼は、貿易のためアラム・ハカニの
許嫁の父ハキーム・ハーン宅に下宿していた。
1841年10月、第一次アングロ・アフガン戦争下の
英軍占領中、首都カーブルでは、英軍将校たちによる「女性問題」
(アフガン女性への暴行)が多発しており、許嫁を侮辱された
アラム・ハカニは友人とともに白人将校を狙撃した。
部族長アブドゥラー・ハーンも、将校に第三夫人を
誘惑されるだけでなく、弟の許嫁も奪われ激怒。
11月2日早朝、襲撃隊は、英軍側の東インド会社特務機関長
アレグザンダー・バーンズ(詩人ロバート・バーンズの縁者)を
殺害する。
勒九はアラム・ハカニに宰相邸へ案内された後、ペルシャ人に
匿まわれ、外人狩りの襲撃は辛くも逃れた。
アラム・ハカニは英バーンズ襲撃隊を組織した族長アブドゥラー
の親衛隊員となって後日、英軍基地の攻撃に参加するのだった。
月美人岡の闘いは二度にわたって行われ、
アブドゥラーが暗殺されるものの、アフガン側が英軍を敗退させた。
勒九が依拠する基地では食糧不足が深刻化を極めていた中、
アフガン側の前国王・王子アクバル・ハーンが、
ウズベク兵・約6000人を引き連れカーブルに帰還する。
英軍がジャララバードまで撤退する条件を丁々発止で交渉した。
アクバルは武器放棄を要求する代わりに、
撤退軍に対し護衛を付けると約束し交渉を進めていった。
12月23日、アフガン部族内の対立を利用し反目を画策していた
マクナーテン公使がアクバルによって暗殺され、事態は様々、
流動しつつも、ひとまずの終息を迎えていった。
アラムは友人と『クルアーン(コーラン)』を読み続け、
その「平和主義」を一つ一つ確認していった。
英軍、約1万6500人の撤
よく利用するジャンルを設定できます。
「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。