戦争末期の1943年から遂行された国策、満洲報国農場。終戦時には70近くの農場が存在したが、その実態は長く顧みられずにきた。農林省の役人や農学者たちが牽引したこの国策により、東京農業大学の実習生や多くの若者たちが辛酸を嘗め、死へと追いこまれた。命を支える農業を研究する農学が、そして学生を育むべき大学が、棄民に加担した事実に迫る。
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