特集:象徴天皇制について考える タブーなき議論に向けて
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憲法で天皇の地位が「総意に基づく」とある以上、その総意をつくっていくのは主権者一人一人。そのためには少数意見を排除することなく、自由な議論が必要とされている。「タブー視しない」「知る」「考える」「語り合う」ための手がかりを提示。
[特集趣旨] 2019年4月30日の天皇退位(後に上皇)、及び5月1日の新天皇即位、そして「改元」が近づいてきました。今後、天皇代替わりに伴い、宗教(国家神道)色の強い大嘗祭(だいじょうさい)などの様々な行事・儀式が行われ、そのために巨額の国費(1990年の即位の礼・大嘗祭は123億円)が投入される見込みです。この一連の流れが「政教分離」の問題など、議論らしい議論のないまま進んでいくことは、天皇制の権威と国家主義を強化し、より一層、日本の民主主義の危機を深めることにならないでしょうか。
そもそも、天皇による「退位の意向」表明(2016年8月)自体が、国事行為のみを行うと規定した憲法に違反するのではないか、という疑念があります。また、天皇がそうせざるを得なかったのは、数年前から示されていた天皇の「生前退位」の要望に対して、安倍政権が冷淡な対応をとったことが背景にあったと、宮内庁関係者からの伝聞として伝えられています。そして、世論調査で9割が「生前退位」に賛成という、高齢天皇への同情の「声」に押されて、最終的に、安倍政権は一代限りの「特例法」を可決・成立させました。しかし、その中身は「国民は、天皇陛下を深く敬愛し」といった、人々の感性・心情に踏み込む、およそ、法律に相応しくないものでした。
一方、退位に関するマスコミ報道は、天皇・皇后の被災地訪問や旧日本軍の戦跡への「慰霊の旅」などを手放しで紹介・美化するばかりで、これら「公的行為」に対する異論や批判を取り上げることはありませんでした。このような天皇の「祈り」「慰霊」への過剰な思い込みは、被災地への施策のあり方、日本の過去の戦争への見方などについて、問題の本質を見誤ることにならないか、懸念されます。また、今後、予想される、天皇代替わりについての大々的なキャンペーン報道は天皇賛美一色の状況をもたらし、人々が「象徴」のあり方を冷静に考えることを封じ込めてしまうことになりかねません。
護憲派の人たちの中には、明仁天皇が「安倍改憲」や歴史修正主義に対抗的であることから、明仁天皇へ期待を寄せる人もいます。しかし、これは日本の敗戦を経て、大日本帝国憲法の天皇主権から現行憲法の主権在民へと変わった、その理念を放棄するに等しい「倒錯した発想」とは言えないでしょうか。憲法の原点に立ち戻り、象徴天皇制の権威・権力を監視する姿勢が主権者には求められています。
大切なことは、憲法第1条に天皇の地位が「総意に基づく」とある以上、その総意をつくっていくのは、私たち一人一人だということです。そのためには少数意見を排除することなく、自由な議論が必要とされています。「タブー視しない」「知る」「考える」「語り合う」──本特集がそのための一つの「手がかり」になれば幸いです。
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