議論と翻訳

議論と翻訳

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出版社
新評論
著者名
桑田禮彰
価格
5,280円(本体4,800円+税)
発行年月
2019年1月
判型
B6
ISBN
9784794811103

江戸幕府は、議論禁止を身分制社会の専制的支配原則とした。江戸初期の「公家並諸侯と雖【いえ】ども政道奏聞【そうもん】に及ばず候【そうろう】」は、中期の「君子は国を憂【うれ】ふる心あるべし、国を憂ふる語あるべからず」(松平定信)を経て幕末まで、一貫して祖法として機能したのである。
 その結果、社会を覆ったのは「無議」の環境であり、人びとの「卑屈の気風」(福沢諭吉)つまり議論回避の姿勢である。この気風・姿勢が、身分制社会維持の基盤であった。
 明治維新の新しさは、この議論禁止原則を解除し、議論環境を構築した点にある。今年、明治維新150年にあたり確認すべきはこの点である。その端的な表現が五条誓文の「万機公論に決すべし」。実際、議論環境の情報インフラ(通信・郵便・マスメディア)が瞬くうちに整備され、最初の国民的規模の議論としての自由民権運動が巻き起こる。
 重要なのは翻訳である。翻訳は、議論環境の中へ西洋知識を取り込み議論の視野を広げ観点を豊かにし、翻訳語として議論語を創出するとともに、議論の魂ともいうべき他者感覚(異文化感覚をベースにした、相手との相互理解の困難と必要の自覚)を導きいれた。
 議論環境の構築は明治23(1890)年の憲法施行・国会開会を頂点とするが、同じ年、構築に逆行するベクトルが教育勅語として現われる。このベクトルは、沈黙し翼賛的意見しか表明せず、自ら外国に対峙することなく自国の運命を為政者に預ける、従順で閉鎖的で「卑屈な気風」を持った国民を再び育成しながら、今日まで根強く存在し続けている。
 本書は、カール・シュミット、ベンヤミン、リップマン、フィンリーなど西洋思想の新しい光を、福沢諭吉・中江兆民・西周・北村透谷ら明治思想に当て、議論環境構築の意義を浮かび上がらせる試みである。(くわた・のりあき)

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