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ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインが生前に公刊した著書は、たった2冊である。1冊は『論理哲学論考』(1922年)。この書をもって、哲学のすべての問題は解決されたと確信したヴィトゲンシュタインは、哲学から離れ、小学校の教師に転身を遂げる。教師として暮らす中でその必要を感じ、みずから執筆したのが、残る1冊である本書(1926年)にほかならない。本書は、その本邦初訳となる記念碑的訳業である。
ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889-1951年)が生前に公刊した著書は、たった2冊である。1冊は『論理哲学論考』(1922年)、残る1冊はその4年後に刊行されている。それが『小学生のための正書法辞典』(1926年)であり、本書はその本邦初訳となる記念碑的訳業である。
よく知られているように、ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を完成させたことで、哲学の問題はすべて解決されたと確信した。それゆえ、哲学から卒業して転身しようと思いつく。第一次世界大戦に従軍したあとに彼が選んだ道は、小学校の教師だった。
養成学校に通って教員資格を得たヴィトゲンシュタインは、1920年9月にトラッテンバッハの小学校の臨時教員になった。その後、1922年にはプフベルクに、2年後にはオッタータールに移って教員生活を続ける中で、正書法辞典の必要を痛感するようになる。1924年10月の書簡には、こう書かれている。「辞書がこんなに高いとは考えもしなかった。長生きするなら、小学生のために小さな正書法辞典を編もうと思う」。
ヴィトゲンシュタインは、わずか3ヵ月弱で辞典の原稿を作成し、1926年に出版された。残念ながら、同年4月28日には依願退職していたため、彼が実際に教室でこの辞書を使うことはなかった。そして、そのまま誰にも顧みられることなく、本書は「幻の書物」となる。
本書を執筆するにあたってのヴィトゲンシュタインの方針は、アルファベット順を基準としつつも、「心理的な原則」(生徒がどこでこの単語を探すか、生徒が混同しないようにするにはどうするのがよいか)や「文法的な原則」(幹語や派生語)と折り合いをつけるために適宜妥協を重ねながら、使い勝手のよいものを実現する、というものだった。
日本語を母語とする私たちにとって、本書はそのまま実用に役立つわけではない。だからこそ、今に至るまで邦訳が実現しなかったのだろう。しかし、ここには『論理哲学論考』から『哲学探究』への転身が確かに予告されている。言語について考えるすべての人にとって、本書はヴィトゲンシュタイン自身がみずからの意思で出版した、たった2冊のうちの1冊であるという事実は、きわめて重いはずである。図版を多数掲載した「解説」とともに、ヴィトゲンシュタインを愛するすべての人に本書を送る。
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