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植民地朝鮮の児童保護事業の展開を分析、養育に関する近代的知識が朝鮮に流入した過程と「産み育てること」の意味の変化を描き出す。
宣教師による啓蒙、総督府による統治、それを媒介する中間者という3つのアクターが錯綜し、植民地朝鮮に近代的養育観が定着していく過程を膨大な資料から描き出すとともに、近代医学による「正常」な子ども像に基づき、子どもを区分・選別する眼差し、養育に付された意味が植民地政策の展開と同期しどのように変化したのかを描き出す。
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