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《末木文美士》《佐々木閑》《宮崎哲弥》3氏推奨!
歴史的ブッダの死後500年頃(紀元前後)から出現し始めた大乗仏教は、その始まりから「大乗非仏説論」(大乗は仏説に非ずという論)に晒され、大乗仏教徒は大乗非仏説論を厳しいトレーナーとして、大乗仏教の存在意義を懸命に探し求めてきた。しかし、内外に問題をかかえたまま、新来の上座部仏教(テーラワーダ仏教)の正統性に追従する近年の日本大乗仏教諸宗は、大乗仏教の存在意義を見失いつつある。
そのような状況の中、本書は、大乗仏教に共感や関心を持つ方のために、改めて大乗非仏説論に真摯に向き合い、大乗仏教の存在意義を明快に説きあかす。
序論では、大乗仏教は歴史的ブッダの死後500年頃から出現し始めた、というその疑わしい出自ゆえに、本質的に自己の存在意義を求めるよう運命づけられていることを確認。
第1章では、大乗仏教の起源について、前近代の「神話的大乗起源説」、近現代の「歴史的大乗起源説」を紹介し、最後に前近代における大乗非仏説論史を確認。
第2章では、近現代の日本における大乗仏説論を、
①「直接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの直説)
②「間接的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの準直説)
③「変則的大乗仏説論」(大乗経はほかのブッダの直説)
④「超越的大乗仏説論」(大乗経は歴史的ブッダの真意)
に分類し、そのいずれもが〈成功していない〉ことを確認。
第3章では、大乗経が仏説であることは推理によっては論証できず、大乗経にもとづいて修行した者の悟りの体験によって自内証(個人的に確証)されるべき、という「体験的大乗仏説論」を提示。
第4章では、大乗仏教の本質は、「歴史的ブッダへの回帰」ではなく、「仏伝的ブッダの模倣(まねび)」であることを確認。
第5章では、大乗仏教のアイデンティティは、他者を救うためなら仏伝的ブッダの故事にもとづいて敢えて歴史的ブッダの教えに反することすらやってのける、「利他ゆえの仏教否定」であることを確認。
第6章では、日本の大乗仏教のうち、かつて「何のためであろうと宗義に反してはならない」という原理主義に陥りがちであった一部の諸宗も、大乗仏教のアイデンティティである「利他ゆえの仏教否定」に復帰すべきことを確認。
第7章では、大乗仏教のブッダとその仏国土とが実在することは推理では論証できず、大乗経にもとづいて修行した者の見仏の体験によって自内証されるべき、という「体験的仏身土実在論」を提示。
結論では、大乗仏教は歴史的ブッダの宗教(原始仏教、部派仏教)とは異なる宗教であること、大乗仏教徒は歴史的ブッダという権威に同調することを正義とする「権威主義」や、純粋な仏教にこだわる「純血主義」を捨て、歴史的ブッダの宗教を超える高貴な人間性や豊かな人間観にもとづいて、人類の無限の向上へと進み続けるべきことを確認。
経、律、論や僧伝を縦横無尽に使いこなし、的確な論証で原始
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