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赤はな先生こと副島賢和さんは少年時代の夢をかなえ、小学校教師になりました。24歳で結婚。教師としても家庭生活でも充実した日々を過ごしますが、そんな矢先、肺にうみがたまる病気にかかってしまいます。29歳から約5年間に、3度の入退院をくり返しました。
退院後、教員の派遣研修制度を利用して、東京学芸大学大学院で、児童心理学を学びました。ある研究データを見て、病気の子どもたちへのケアが足りていないことに気づき、院内学級への異動を希望しますが、何年も待つことになりました。
30歳のころ、「パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー」という映画で、赤はなをつけたお医者さんの存在を知り、感銘を受けます。その後、クラウン(道化師)の修業を始め、自分は教師でクラウンになろうと決心します。
2006年、副島さんが40歳の時、昭和大学病院内の「さいかち学級」の担任になりました。2014年からは昭和大学に籍を移し、「さいかち学級」で子どもたちと精力的にかかわりながら、講演活動などもしています。
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