民藝運動の中心人物であった柳宗悦。
大正15 年、工芸品は華やかな装飾でいろどられた「観賞用」として認識されていました。
柳宗悦らは、日常で使う生活用品の中にも美しさは存在すると唱え、その道具を「民藝」と名付けました。
京都が民藝のルーツとされているが、それは本当なのか?
昭和2年設立の「上加茂民藝協団」とは?
民藝運動に欠かせない人物・河井寛次郎。柳宗悦との関係性とは?
柳宗悦やその仲間たちの影がいまも色濃く残っている場所を紹介。
4人の著者が、あらゆる方向から柳宗悦の足跡をたどります。
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