★核の問題と対峙するアンビルトの傑作は、
3・11以後の世界に何を問うのか――
1955年、白井晟一の「原爆堂」は核の問題と対峙する建築として
『新建築』誌上でいくつかの図面とパースが発表されたが、
ついに実現することはなかった。
半世紀が過ぎ、2011年3月11日に起きた東日本大震災における未曾有の破壊と
福島第一原子力発電所の事故を経験し、いま「原爆堂」に託された問いが
アクチュアルな意味を帯びている。
白井晟一の思想や言葉を手がかりに「原爆堂」の今日的な意味を、
岡﨑乾二郎(造形作家)、五十嵐太郎(建築史家)、
鈴木了二(建築家)、加藤典洋(文芸評論家)という4人との対話から探る。
序論・聞き手は白井昱磨(白井晟一研究所主宰)。
白井晟一について Seiichi SHIRAI
建築家。1905年、京都生まれ。京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)図案科を卒業後、渡欧しハイデルベルク大学及びベルリン・フンボルト大学でカール・ヤスパース等に師事。1933年に帰国し、建築家として活動を始める。代表的な建築に「ノア・ビル」「虚白庵」「呉羽の舎」「親和銀行」「浅草善照寺」「松井田町役場」「秋ノ宮村役場」など。高村光太郎賞、建築年鑑賞、建築学会賞、毎日芸術賞、芸術院賞、サインデザイン賞を受賞。装丁家・書家としても実績を残す。エッセイ集に『無窓』(1979年、筑摩書房/2010年、晶文社)がある。1983年死去。1955年立案の「原爆堂」は実現していない計画案だが、現代文明に対する根源的な問いかけを今日もなお続けている。
よく利用するジャンルを設定できます。
「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。