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戦国時代に長期にわたって武家伝奏を勤めた広橋守光(1471~1526)
の日記と別記。守光は、町広光の子として生まれ、広橋家を嗣ぎ、永正2年(1505)参議、同6年武家伝奏・中納言、同15年大納言となり、大永6年1526)56歳で歿しています。天文7年(1538)には、内大臣の追贈を受けています。
本書は、続群書類従完成会時代に、中世公家日記研究会の校訂で校正作業がはじまり30年近い歳月を掛け、このたび、漸く第1巻目が刊行となりました。初の全文翻刻となります。
自筆原本は、広橋家の他の史料とともに、同家に伝来していましたが、近代になり東洋文庫に移譲されました。現在は、永正4年12月から永正18年3月分が国立歴史民俗博物館の所蔵となり、一部、永正10年2月から同年12月分が宮内庁書陵部所蔵。
本日記からは、武家伝奏として公武間の折衝に心を砕く守光の実像が見えてくる。また、幕府との交渉記録や関連文書が写として掲載され、女房奉書が数多く筆写されている。他の公家日記と比較して、有職故実や年中行事に関連する記事が少ないのも本記の特徴のひとつである。
永正5年4月の条には、「足利義澄は近江坂本へ没落、細川高国摂津出陣、足利義尹九州より兵庫着岸」とあり、さらに同年6月の条には、「足利義尹上洛、大内義興・畠山尚慶入洛布陣」と記されている。明応の政変で京都を追われた10代将軍義尹が、大内氏の支援を得て再び上洛し将軍職に返り咲く様子と11代将軍の義澄が没落していく様子が記されている。また、永正8年の船岡合戦の模様や禁裏御料所の記事も豊富で、この時期の政治・経済史の一級史料。
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