「恨」文化を助長した日朝戦争

「恨」文化を助長した日朝戦争

出版社よりお取り寄せ(通常3日~20日で出荷)
※20日以内での商品確保が難しい場合、キャンセルさせて頂きます

出版社
カクワークス社
著者名
樋口正士
価格
1,980円(本体1,800円+税)
発行年月
2018年7月
判型
A5
ISBN
9784907424244

日清戦争は、日本と清国との間の戦争であるが、開戦の理由は両国と朝鮮との関係にあり、開戦時の戦場も朝鮮国内であった。朝鮮が日清両国の間に位置しているという、地政学的な要因があったことは間違いない。ともあれ、一八九四(明治二十七)年というタイミングで日清戦争が勃発した原因を理解するためには、当時の日本・朝鮮・清国三国の状況を知り、日本が何故清国との戦争に至ったかの経緯を見ることになる。

一八九四(明治二十七)年七月二十三日の朝鮮王宮襲撃事件とは、とにかく日清開戦を実現させようとした、具体的には、朝鮮の政府を入れ替えて清国軍撤退を迫らせ、清国軍との開戦を正当化する条件を整えることを意図して行われた、日本が朝鮮へ挑んだ戦争のことである。
原田敬一氏は「七月二十三日戦争」という名称を提案している。それは「外国に駐屯している軍隊が、その国の王宮を襲い、守備兵と砲火を交え、占領する、というのは事実上の戦争と判断できる」ためであり、 そして、「この一日だけの戦争で日本軍が戦った相手は『朝鮮』である」としている。
この戦争の最大の悪影響は、朝鮮国内で反日感情を高揚することになった点であり、朝鮮における文化、思想においてすべての根幹となっている思考様式の一つ「恨(ハン)」の概念の一環を担った事である。

お気に入りカテゴリ

よく利用するジャンルを設定できます。

≫ 設定

カテゴリ

「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。

page top