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伊能忠敬が史上初めて作った日本地図は、8代将軍・徳川吉宗の”遺言”を形にしたものだった。隠居(定年)後の偉業から、シニアが組織で果たすべき役割を抽出し、没後200年の平成30年に、まったく新しい伊能忠敬像を描き出した歴史小説。
定年後の主人公を中心に人と地域の再生を鮮やかに描き出した群像小説『姥捨て山繁盛記』で第8回日経小説大賞を受賞した太田俊明氏の受賞第一作は、現代から一転、舞台を江戸時代に移す。主人公は「日本地図を歩いて作った男」伊能忠敬。井上ひさしの大作『四千万歩の男』で、忠敬が小説の主人公となり、隠居(定年)後の第二の人生を生きる見本として話題になったのが約四世紀前。時を経て、シニアが組織で長く活躍するにはどうすればよいのかが問われる時代となった。若き師に仕えたシニアの身分は低いながらも豊富な人生経験が、歳下の師の仕事に向き合う姿勢も変えていき、結果的に業績も上向かせていく組織人の物語を紡ぎ出しており、きわめて現代的だ。
物語は伊能忠敬と、日本の太陽太陰暦を西洋の水準まで引き上げた天文学者、高橋至時との人間関係を中心に展開する。忠敬の隠居前の前半生は佐原村(いまの千葉県香取市)の豪農に婿入りし、科学的・合理的な手法で名主として力を発揮した。隠居となり、封印していた天文学者への志を果たすため、幕府の天文方に出仕する高橋至時に弟子入りする機会を得るが、50歳(現在の感覚では60歳を越えるか)という高齢と武士ではない身分の違いからなかなか叶わない。ようやく弟子入りし、師の仕事を助けるため、と蝦夷(北海道)測量に出かけたが、天文学者としての夢を実現するためで、当初は地図作りが目的ではなかった。初めて蝦夷の地図を完成させた時、忠敬の運命は変わる。時は寛政。「寛政の改革」を主導した松平定信は8代将軍・吉宗から今後の幕政の課題と悲願を託されていた。その”遺言”とは?
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