執筆過程の生理学 1994ー1996
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このころになると、訪問する精神科医は、一輪の花を各避難所に届けることができるようになっていた。手ぶらで訪れるよりもずっと入ってゆきやすいと皆は言った。H医師の面接は特に喜ばれ、逆に被災者からぜひといってお菓子や果物を「また貰っちゃった」と言って持ちかえってきたが、これは避難所に物が余りだしたわけでは決してない。感謝の気持ちを全財産をなくした人はとにかく表したかったのである。一輪の花を手向けるように――「お地蔵様へのお供え」というほうが当たっていようか。実に多くの人が、この状況にあって「ただでものをもらう」ことに抵抗を感じていた。初期にはそのためのためらいがあった。かなりの神戸市民は政府の援助を争って受けたのではない。心理的抵抗を乗り越えてようやく受けたのであることを彼ら彼女らのために言っておきたい。
(「災害がほんとうに襲った時」1995)
最近の研究によると、その人の人生がどうであろうと、心は、楽しい記憶が六割、悲しい記憶が一割、どちらでもない記憶が三割という比率に整理してゆくらしい。記憶がこの比率に整理されていることが心の健康の条件であるとみてもよいだろう。この水面下の心の活動を援助するのが、こころのケアのだいたいの方向である。だから、楽しい記憶を強化することも必要だが、悲しい記憶を閉じ込めるのでなく、信頼のできる人に語って浄化することも必要である。「悲しい記憶を成仏させること」といえば分かりやすいだろうか。
(「阪神・淡路大震災後八カ月目に入る」1996)
患者と治療者、病院が同時に被災した神戸で精神科医療はいかに行われたのか。精神科医が関与観察した震災の記録を中心に編む第5巻。
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