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"私達が“現実""と呼ぶものは、何を指しているのかと改めて考えてみます。
何が“現実""で何が非現実、そしてその境目はどこにあるのでしょう。
目に見えるか見えないかだとしても、
電気や電波、空気、風など
目には見えないが万人が疑うことなく社会に浸透しているものもたくさんあります。
しかしこれらも人間が考えだした計りで計測出来得るため
見えるとみなし“現実""に含まれるのではないでしょうか。
誰かが見た、
経験した、
証明した、
多くの人が賛同した……。
スペースシャトルが宇宙空間を飛んでいるのは“現実""で宇宙人は非現実ですが、
宇宙人が白昼堂々とその辺りをうろつくようになれば、
それは人間にとっての“現実""となるのです。
こう考えていくと、“現実""は人間が手前勝手に創りあげているように思えませんか。
さらに細かく見ていくと
人それぞれの感じ方で“現実""は違うようにも思えます。
つまり“現実""の定義はどこに視点を置くかによって変わってくるということです。
私達は動かせない現実の中にいるのではなく、
私達の中に現実があるのだと考えられませんか。
私はある体験を境に、
この世界はただあるがままの自然と、
人間が創り出している前述の“現実""が織りなす二重構造だと感じるようになりました。
極端に言うと“現実""は概念です。概念とは考えによって創られたもの――。
そうなると現実の中で織りなす人生も創作されたもの、例えていうなら脚本、ドラマなのです。
「そんな安直なものじゃない! 」とお思いでしょうか。
そのとおり安直なものではありません。
創られたドラマの中には大いなる体験があります。
体験により何かが進化するための壮大なプロジェクトだと思われます。
これは私達の頭では永遠に計り知れません。
ある時、私にその創られたドラマの外側の世界を垣間みるような出来事が起こりました。
人生ドラマの外側は限りなく平和で静謐な場所が、ただそのままに存在し、息づいているだけでした。
本書は私の体験をもとに、
概念である“現実""と“現実の外側""の世界とは何か、
人生はなぜ創作ドラマなのか、
時間について、
二重構造を統合している非二元という全体性について、
思考や感情について述べてみると共に、
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