「現実性と時間」について論ぜよ。これが、私が最初に東大の松永ゼミに参加したしたときに参加者全員に与えられたテーマであった。東大で行われていた他の哲学科のゼミ(おそらく他大学でも同じだと思う)とはスタイルが全く違っていた。他のゼミでは原典講読が原則である。与えられた原典の中の一カ所を注釈を含めて読み込むことを通して、その学説について考えるのである(それがアリストテレスであろうとハイデガーであろうとゼミの進め方は同じである)。そこで担当者が上手く発表できないと、責められるのは担当者の勉強不足である(この原文が読めないのか、この文の哲学史的背景を知らないのか、注釈者たちの解釈を調べていないのか等々)。
だが松永ゼミで発表者が責められるのは、担当者の思索力(自分で考える力)の不足である。
――「刊行のことば」より
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