武田信玄は1521年、甲斐の国(山梨県)の石水寺で生まれた戦国武将です。 父・信虎とは仲が悪く、 やがて父を今川義元への人質として追放してしまいます 上杉謙信との5度にわたる川中島の戦いなど 戦につぐ戦を生きぬき、 その存在を力づくで戦国の世に知らしめます。 織田信長や徳川家康がもっともおそれた相手でした。 天下取りへの意欲を最後まで持ち続けた信玄でしたが、果たせず53歳で病に倒れます。
武田信玄は1521年、甲斐の国(山梨県)の石水寺で生まれた戦国武将です。幼名は太郎。父は猛将とうたわれた、武田信虎です。 太郎と、父は仲が悪い親子でした。 太郎も信虎も気性がはげしく ことあるごとに対立するのです。 あるとき太郎は、信虎に自慢の名馬をくれといいます。 信虎は激怒しますが、太郎の言い分は、その馬に乗るのにふさわしいのは父でなく自分だというものでした。
やがて信玄は父を今川義元への人質として追放してしまいます 。「風林火山」ののぼりを立てた信玄の騎馬軍団は、最強の軍隊として、周辺の大名たちから怖れられました。 上杉謙信との5度にわたる川中島の戦いなど 戦につぐ戦を生きぬき、 その存在を力づくで戦国の世に知らしめます。 織田信長がもっともおそれた相手が信玄であり、 徳川家康が勝てなかった相手が信玄でした。
また信玄は、金山開発や、治水工事を行うなど すぐれた政治家でもありました。
天下取りへの意欲を最後まで持ち続けた信玄でしたが、果たせず病に倒れます。息子の武田勝頼に、3年間は死を伏せるようにと言い残し信玄は死にます。武田家は影武者を立てますが、信玄の死はすぐにライバルたちに知れ、わずか9年後、武田は勝頼の代で滅びたのでした。武田信玄、いくさの神様として戦国の世をかけぬけた53年間でした。
*巻末に人物伝つき
*小学上級から
*すべての漢字にふりがなつき
よく利用するジャンルを設定できます。
「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。