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新しい「国際語」を創るエスペラント運動を通して反戦平和を訴えた青年教師はなぜ死ななければならなかったのか。
“漢字を制限しローマ字化することで言葉の民主化を推進する”エスペラント運動が日本語抹消論、国際共産主義運動につながるとして山形県特高は徹底的に弾圧した。
特高により捏造された斎藤秀一事件の全容と背景を秀一の日記、警察側の資料、関係者の証言などの分析で明らかにする。
斎藤秀一(1908-1940)
山形県鶴岡生まれ。駒澤大学在学中に日本エスペラント学会会員に。曹洞宗の僧侶。卒業後、郷里の小学校教師に。1932年に検挙され、教師を免職。プロレタリア作家同盟加入。エスペラント運動を通して反戦平和を訴えた。1938年治安維持法違反で検挙。裁判で有罪となり、秋田刑務所に。1940年肺結核の療養中、死去。享年32。
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