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本書に翻刻した三史料はいずれも大阪を出自とする正式な原本であり、膨大な収支金銀の加減乗除計算や集計は正確で全て合う。
これまで知られた大坂金蔵勘定帳は、大阪市立中央図書館所蔵の元禄16年(1703)宝永元年(1704)の大坂金蔵金銀納方勘定帳の1冊だけで、納方は口別詳細なのに、払方は総額のみの記載である。この点ここに紹介する享和2年(1802)分・天保4年(1833)分2冊の大坂金蔵勘定帳は収支ともに詳細に記載されている。また享和3年分大坂金蔵金銀拝借帳は他に類例のない史料で、水害や飢饉などあるいは借財に対する援助の記録である。
大坂金蔵は幕府領の五畿内筋以西の代官所・遠国奉行所・大名預所の年貢以下の収納を行い、幕府上方役人の給与や行政的経費、大坂在番・加番・二条在番の合力米大豆代金などの支出を行い、差額は為替十人組・三井組により江戸に為替送金され、江戸の奧金蔵・蓮池金蔵に次ぐ位置を占めている。管轄の範囲には長崎も含まれ、輸出入品に関する収支がある。大坂は西廻り海運の結節点なので、東日本地域の加賀前田家支配の能登や出羽久保田佐竹氏支配の秋田銅山、そして朝鮮外交を担う対馬宗氏や琉球を支配する薩摩島津氏への支援など金融的関係も見られる。それと共に大坂金蔵拝借帳に見られるように、幕領に対する救済機能と共に、重要な融資機能を持っていたのである。
一 享和二年(1802)分大坂金蔵勘定帳
正式表題は「享和二戌年大坂御金蔵金銀并灰吹銀納払御勘定帳」、広島県立文書館所蔵。慶応4年の戊辰戦争に加わった広島藩士日詰瓣蔵(のち吾郎)が大坂城でこれを得て国元に逓送、2014年子孫日詰悟氏が広島県立文書館に寄贈。享和3年11月大坂町奉行・大坂御金奉行・大番らが勘定を仕上げ幕府勘定所に提出、翌文化元年(1804)6月老中・若年寄・勘定奉行・吟味役・組頭らが奥書して大坂に返した原本である。
二 天保四年(1833)分大坂金蔵勘定帳
正式表題は「天保四巳年大坂御金蔵金銀并灰吹銀納払御勘定帳」、公益財団法人三井文庫が2010年大阪の古書店より購入。年代は違うものの、享和2年の勘定帳とその成立は全く同じ原本である。
三 享和三年(1803)分大坂金蔵拝借帳
表題は「享和三亥年分大坂御金蔵金銀拝借帳」、これも戊辰戦争で大坂城が爆発、市民が略奪の際、この帳面を松本直七が貰い受け、1903年大阪市に差出し、1933年三井文庫に寄託されたもの。文化元年11月大坂町奉行・大坂御金奉行・大番らが幕府勘定所に提出、勘定奉行・吟味役・組頭らが拝借金銀の返納分は御金蔵御勘定帳を元に仕上げたことを奥書し、大坂町奉行らに当てた原本である。
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