取り寄せ不可
PL学園時代の清原和博が甲子園で放った通算13本塁打は、今後破られることがないであろう不滅の記録だろう。この13本は、ただの記録として残っているわけではない。甲子園の怪物に出会い、打たれた球児たちは、あの瞬間の”記憶”とともに、その後の歳月を歩んできた――。
今年6月、清原和博は覚せい剤取締り法違反で有罪が確定した。甲子園歴史館からは清原和博の痕跡が消え、踏み入れてはいけない領域に手を染めてしまったヒーローの名前は世間の表舞台から消えていった。そんな中、甲子園で13本塁打を浴びたライバル全員が、30年以上の時を経て、あえて今、静かに口を開いた。これは、18歳の清原と49歳の清原への、打たれた者たちからの”30年越しの告白”である。13本のホームランが生んだ真実が、ここに蘇る。
【甲子園の怪物に敗れた男たちの”30年越しの告白”】
「あの決勝戦までフォークが落ちなかったことはなかった。
今、思えば、打たれる運命だったとしか思えない」
(横浜商 投手 三浦将明)
「ケタが違いましたよね。打球の速さも、飛距離も。
あれだけのものを見せられたら……」
(砂川北 投手 辰橋英男)
「ピッチャーライナーだと思ったんですよ。でも、その打球が
バックスクリーンを直撃しえいた。後にも先にも、あんなの初めてです」
(京都西 投手 真鍋知尚)
「甲子園にいい打者が出てくるたびに見にいきました。
でも、清原以上の打者はいなかった。最初は打たれたことの
恥ずかしさもあった。でも、今は私の人生の中の大事なものです」
(京都西 投手 関貴博)
「錯覚なのかもわからないのですが、打った瞬間、バットの上にボールが
乗っている感じがしたんです。すごく、ゆっくりというか。
そういう感覚になったのは初めてでした」
(享栄 投手 稲葉太)
「右中間にホームランを打つ姿を見ると
『これが清原だよな』って思えました。それがうれしかった」
(享栄 投手 村田忍)
「なんでですかね。打たれた場面なのに、清原のホームランだけは見たいと思った
むしろ、一番見たくなかったのは歩かせたシーンなんです」
(浜松商 投手 浜崎淳)
「あいつ、笑っていたんですよ。『あそこまで飛ばすんか?』って
言っているようでした。あの顔を見て、あいつも悔いはないということがわかりました。相手が清原で、すべてをぶつけることができましたから」
(高知商 捕手 岡村英人)
「甲子園で清原に会っていなかったら、高校を卒業して野球を辞めていました。
事故の後も野球を続けていなかったと思います。ホント、感謝しとるんです」
(甲西 投手 金岡康宏)
「清原と対戦できたというのは、僕のような投手にとって宝なんですよ
頭の先からつま先まで震える体
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