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日本初のテレビドラマは、紀元2600年で沸きかえる昭和15(1940)年に放送され、本放送も実現寸前だった。テレビ技術は、幻に終わった東京五輪に向けた国家プロジェクトとして莫大な予算が投じられ、その後も紀元2600年を控えて国威発揚のために、真珠湾攻撃の当日、昭和16年12月8日まで実験は続けられた。昭和15年4月に無線で放送されたテレビドラマ『夕餉前』に父が出演した、岩下志麻さん推薦!
日本初のテレビドラマは、いつNHKで放送されたか? それが、零戦が初飛行し、中国での戦線が膠着状態にはいり、紀元2600年で沸きかえる昭和15(1940)年と知れば驚く方も多いだろう。大正14(1925)年にラジオ放送は開始されたが、それからわずか15年で、戦前のテレビ技術は、本放送実現の一歩手前まで究まっていたのだ。
それは、幻に終わった東京オリンピック、万国博覧会に向けた国家プロジェクトとして莫大な予算が投じられたためであり、2大イベントが中止となった後も、紀元2600年を控えて国威発揚のために、また軍事技術への転用のためにも、欧米に負けられない開発目標だった。実際、5年前の平成21年に終わったアナログ放送での走査線が525本であったのに対し、戦前では441本にまで技術は進歩していた。
実験放送は、真珠湾攻撃の当日、昭和16年12月8日午前にも予定されていたが、開戦とともに放送用の開発は終わり、戦時中は、飛行機に搭載する超小型テレビや電波探信機の研究に切り替わった。
昭和15年4月に無線で放送されたテレビドラマ『夕餉前』は、原泉子、岩下志麻の父・野々村潔、寺尾聡の母・関志保子が出演、照明1万ルクス、灼熱のスタジオで髪が燃えたというエピソードが残った。10月の第2作『謡と代用品』には、天才子役だった中村メイコがカメラの前に立った。また、世界初の技術でブラウン管に映像を映した高柳健次郎の奮闘など、戦前のテレビ開発に賭けた人びとの夢を追うノンフィクション。
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