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明治5年、衣冠直垂に代わり「フロックコート」を礼装とした太政官布告は、天皇巡幸、陸軍特別大演習という国家行事参加者への服装規定という形で国民に周知されていった。昭和に至るまで礼服定義に裁量権を持ったのは宮中であったこと、礼装規範の形成過程が天皇を中心とした日本の近代国家の歩みに連動していたことを膨大な資料から実証する。
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