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華やかな田部の野球人生は日本の野球史上において非運の天才と呼ばれる理由があった。
昭和11年、プロ野球創成以前、「大東京巨人軍」に背番号「3」がいた。米国遠征で俊足をいかし、109試合中105盗塁を決め、
ファンを熱狂させた。大男の投手、大型選手らの内野を縦横無尽に走る。非運の天才と呼ばれた理由は、
巨人軍の追放が一つとするならば、最大の理由は、妻子を大連に残し、郷愁に殉じながら沖縄での戦死。
エース沢村の活躍は米国の観客を驚かせたが、田部の偉駄天ぶりはそれに劣るものではなく、
スリルと迫力という点では凌いでいた。ヒットだろうが四球だろうが塁に出ればすかさず盗塁。
ワンヒットでホームに帰った。だが39歳の老兵は、かつて全米の度肝を抜いた俊足で降り注ぐアメリカ軍の弾丸を切り抜けることはできなかった。
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