東日本大震災と原発事故で言葉を失った経験を忘れないようにしたい。荒れはてた廃墟を前にして、何かが間違っていたのではないかと私たちは考えた。福島の原発事故は、とくに科学者への不信をかきたてた。事故直後テレビ番組で解説した大学教授たちは、原発を推進してきた利益関係者だったからか、メルトダウンの事実を直視できなかった。この人たちは、業界や権力と癒着して、開くべき口も開かず、科学者としての判断力さえ鈍らせていたのではないか。そのような科学者の責任が問われたのが大学闘争であり、東大闘争であった。彼らはそのとき学生だったのに、何を学んだのか、何か忘れないでいたことがあるだろうか。
大学闘争を闘った学生自身が大学闘争についてもっと語ってほしい。あれは何だったのか、大学が廃墟となった経緯と問題について、廃墟のあとの経過について、十分に明らかにされていない。本書は各地の大学闘争のうち、東大闘争から考えることを試みる。1945年の第一の廃墟からだけでなく、1969年の第二の廃墟から、現在の第三の廃墟を考える。大学闘争を闘った学生たちが語り出すとき、ともに歴史をつくっていくことができるだろう。
よく利用するジャンルを設定できます。
「+」ボタンからジャンル(検索条件)を絞って検索してください。
表示の並び替えができます。