取り寄せ不可
昭和のはじめ、二村定一という歌手にして芸人がいました。当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで彼を知らない人はいませんでした。エノケンこと榎本健一を凌駕する人気であったといって過言ではありません。たとえば「君恋し」(♪宵闇迫れば 悩みは果てなし)はフランク永井の昭和30年代の歌謡曲と思ったら大間違い(もっとも、いまジェロが歌っていますが)、もともとは二村定一が昭和4年に歌って大ヒットした歌です。いまでもある世代より上の人々は、彼のレパートリーだった ♪俺は村中で一番、モボだといわれた男(「洒落男」)や♪沙漠に日が落ちて夜となるころ(「アラビアの唄」)などの舶来流行歌を懐かしく思い出すことでしょう。色川武大のエッセイにその風貌がわずかに偲ばれます。
ただ、二村はこの時代の享楽と頽廃の申し子でありすぎました。その後軍国化する日本で彼の居場所はどんどん狭まり、生活は荒れてやがて舞台から消えてゆきます。
一時代を築いた芸人や歌手が忘れ去られてゆくのは仕方のない宿命です。しかし、彼は21世紀らしい手段で不死鳥のように甦りました。2007年11月、関西の人気テレビ番組「探偵ナイトスクープ」で、「90歳の祖母が口ずさむ奇妙な歌の正体を知りたい」という依頼が取り上げられました。その正体は昭和7年に二村定一が歌った〈百萬円〉という唄でした。この番組によって〈百萬円〉のエロ・グロ・ナンセンスそのものの歌詞もさることながら、忘却の海に沈んでいた二村定一という歌手が一気に浮上してきたのです。いま、ウェブ上で二村を熱く語る若年層がどれほど多いか、携帯電話の着メロまで作られたという事実を知ったら、オールド・ファンは驚愕することでしょう。
戦後すっかり定着してしまった観のある戦前=軍靴の響きといういかつい概念。それを本書では揺さぶってやろうと思います。このうえなく軽佻浮薄でエロ歌手の代表格と目された二村定一が、硬直した文化史の読み直しを迫ってくるさまは読者に新しくも根底的な視角を提供するはずです。また、詳細な年譜、ディスコグラフィーも必読です。
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