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本書はハイデガー(1889-1976)の存在と神の思索を,キリスト教神学の伝統の中で理解し浮き彫りにした意欲的業績である。第1部ではハイデガーの思索が神学との対決の中で展開したことを解明し,第2部では彼の思索からキリスト教哲学の可能性を探る。
ハイデガーの思索は多くの源泉や由来をもつ。古代ギリシアの思想家から詩人のヘルダーリン,さらにカントやヘーゲル,ニーチェといった哲学者との対決を通して,自身の思索を導き出し,存在の思索を遂行した。
彼は存在者と区別された存在の思索を遂行するが,今日,存在という概念は存在者ないし事物存在者として理解される。ハイデガーが事物存在者としての存在理解がどのような由来,源泉から生じたと考えたのかを解明する。
ハイデガーの思索はキリスト教神学を源泉にすると同時に,それとの対決を通して展開した。彼は神学が前提する存在・神・論としての形而上学を批判し,存在と神の概念を解体しつつ再度思索しぬいた。このようなハイデガーの対決の思索は現在のキリスト教神学の行き詰まりを打破し,従来の神学を解体した上でその神学の源泉から神学的なるものを取り出す作業を可能にする。
著者はハイデガー哲学の背景がキリスト教神学であり,神学的観点からの研究がわが国の哲学界では欠けており,またキリスト教界は哲学に無関心であることを指摘して,ハイデガーの行った哲学の歴史の解体作業を神学にも行い,哲学と神学との関係を問い直すことを提言する。
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