レモノワール

レモノワール

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出版社
書肆侃侃房
著者名
井本元義
価格
2,200円(本体2,000円+税)
発行年月
2008年10月
判型
A5
ISBN
9784902108859

満ちてくる水



僕は身を隠すためにここに来たのだった

長い間使われていない倉庫群

錆びた廃線のレールに沿って白い小さな花が咲いている

僕は運河のほとりに佇む

水は透明なのか不透明なのかわからない

真っ黒だからだ



闇が降りてくる

僕の足元は揺れる 

否 停滞していた運河が動き出す

かすかな漣が踊子の舞いのように見えていたのに

逆流が次第に速さを増す

満ちてくる波の激しさ

流れが岸を打ち 雑草が気流に揺れる

鞭打たれ追われる罪なき囚人の群れ



僕は友人たちから遠いところに身を隠し

愛するものからしばらく離れていようと思ったのだ

暗い海から逆流してくる運河の水

帰ることのない水

悲しみではない もちろん後悔ではない

胸に満ちてくるこの水のようなものは何か



遠くに常夜灯のように光る高層ビル群

僕には蛍の乱舞にしか見えない

運河の水は濁流のように勢いを増す

渦巻いて暗渠へ流れ込む

それは都会中に張り巡らされた地下水脈へ続くのか

それとも永遠のカタコンブへ落ちる大瀑布となるのか



胸から喉元へ込み上げてくるこの満ちてくる水は何か

僕は友人たちを憎んでいたわけではない

軽蔑することはあったけれど

いつも笑いあい 親しかった友人たちだった

それをなぜ僕は裏切らねばならないのか



何時間もこうやって立ち尽くす

愛していた故郷をなぜ憎むようになったのだろう

僕の過去の全てに限りない侮蔑を

この満ちてくる暗黒の甘い水のようなもの

それが憤怒として吹出さないように僕は必死で抑える

僕はいつの間に亡命者になったのだろう

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