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ビーキアホゥ
ずいぶん前に
ニューヨークへ行ったことがある
そのころ流行りのソーホー地区で
夜遅くまで遊び回っていたぼくは
ホテルの帰り道が怪しくなった
小さな公園のベンチに座り
街灯のひかりを頼りに本を読む
蛾のような若い男に道を尋ねた
想像していた距離と方角が
おおむね間違っていなかったことに
ぼくは満足した
酒も入っているものだから
拙い英語でひとしきり話していると
早めにホテルへ戻ったほうがいい、と男がいう
ああ、そうだね
ありがとう、と返して別れた
蛾のいった最後のことばだけが
ぼくの耳に残った
「ビーキアホゥ」
日本では聞き慣れぬことばのように思った
中学校で学んだ程度の語学力で
地球のヘソのようなこの街にやって来た
小柄な東洋人に
彼は何に気をつけろ、といったのか
夜になると日常的に走る
飲酒運転の車かもしれないし
三十八口径リボルバーの
黒光りした銃口かもしれない
この街だけでなく
いまでは日本でもありふれた危険だ
ビーキアホゥ、とつぶやいて
暗がりを踏みしめて歩いた
あと一ブロックで
イエローキャブが拾える広い道に出る
自分の足音に追われるように
ぼくは急ぎ足になった
あれから時間が経って
いくつかの事件もあった
ケビン・マカリスター少年のように
ニューヨークの眺望を楽しんだ
ワールド・トレード・センターも消えた
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