取り寄せ不可
本書が発売された今日、梅田の書店に立ち寄った。生まれて初めて出版される自分の本を、来年度の手帳と一緒に購入する。店員から「ありがとうございました」と言われて、面映ゆい思いがする。うれし恥ずかし、とうとうこんなことになっちゃった、という気分だ。地下鉄に乗って阿倍野まで帰り、雨がひどく降っていたので、チンチン電車が走る道沿いの喫茶店に入る。ぼくが高校生だった頃から、この店はここにある。ずいぶん生意気な議論をした場所だ。もう少しでこぼれそうな程たっぷりのコーヒーを前にして、ぼくは自分の本を取り出した。柔らかなタッチの装画が、とても気持ちいい。
どんな顔の人が、この本を手にしてくれるのだろう。会ったこともない人の顔は想像すらできない。でも、必ずある顔を持った人に、この本が読まれるのだと考えると、不思議で仕方ない。ぼくは立派な看護師でもなければ、何か言うべきことを知っている人間でもない。いつも、ためらいながら生きてきたし、これからもそうだろう。ひょんなことから看護師になって、いろんな人と出会ってきた。忘れてしまったことのほうが多いのだけど、幾度か文章を書く機会に恵まれて、迷いながらことばを探した。そのつど、考えたことを書いてきただけのことだ。しかし、ぼく自身の首尾一貫した主張があるわけではない。患者と呼ばれた人たちの、ある人の前で、ぼくが何を感じ、何を思い、何を考えたのか。相手と自分の間にゆらぐことを、「ためらいの看護」として書きつけた。
この本の中で、あの人が生き続けてくれたら、そして、この本を読んでくれる人に、あの人の姿が見えれば、中途半端なナースのぼくは嬉しい。
明日は、この本の第3章「生きる技術・生かす技術」に出てくる山本さんと一緒にバイクでツーリングをする。雨が心配だけど、十津川の近くをゆっくり走ってくるつもりだ。明日の夜、酒の席で『ためらいの看護』を、彼に手渡すのが楽しみだ。
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