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18世紀の三大知識人の啓蒙思想活動を検証し
それぞれの特徴と三者の相互補完的連関を解明する!!
名作『ラモーの甥』においてディドロは、18世紀フランス文学の大御所は誰かといえばヴォルテールだと、ある登場人物に4回も言わせている。わたし自身もフランスの啓蒙思想や文学を講義で取り上げる際、この世紀を代表する作家・思想家を1人だけ挙げるとすればヴォルテールだと口癖のように繰り返し述べてきた。18世紀はヴォルテールの時代と称されることもあるくらいなので、彼をこの時代の大御所と見るのは衆目の一致する見方であろう。ところが、ヴォルテールの次に誰が来るのかという話になると、専門家の意見も分かれてくるのではないだろうか。
三権分立の創唱で名高いモンテスキューを2番手に挙げる人もいるだろうし、最初は無二の親友同士でありながらその後仲たがいをしたディドロとルソーを2番手・3番手に挙げる人も出てくるにちがいない。わたしにとってはローマ法等についての勉強不足もたたり、モンテスキューはいまも近寄りがたい存在である。
そこで本書では、わたしが若い時から多少とも親しんできたヴォルテール、ディドロ、ルソーの3人を中心に、とくに彼らの啓蒙思想に焦点を当てて具体的に検証してみた。同時代の人たちはヴォルテールといえば、何よりも17世紀を代表する劇作家コルネーユ、モリエール、ラシーヌの後継者と見なしていたようだが、その後ヴォルテールは劇作家というよりは歴史家、物語作家としての評価が高くなっていく。そこでまず冒頭では、ヴォルテールの歴史観の一端にふれてみた。次に18世紀啓蒙思想書の金字塔ともいうべき『百科全書』の成立経緯を素材に、ディドロとルソーの思想を比較検討する。編集責任者ディドロの依頼で、音楽や政治思想に詳しかったルソーが執筆に協力し、その後両者が仲たがいしたのは周知のことであろう。とはいえ、決裂の真の原因についてはそれほど知られていないのではないだろうか。わたしなりにその点を解明しようして、本書では両者にはかなり早い時期から思考パターン上の相違が見られる点を実証してみた。
この3者は、ともに絶対王政下に生き、言論の不自由を逆手にとって、限られた発言の機会を巧みに利用しながら、専制君主批判、人権擁護を旗印に、汎ヨーロッパ的啓蒙活動を展開していった。そして最も重要なことは、3者それぞれの独自の発言が、18世紀啓蒙思想活動の中で相互補完的に作用し合っていたことである。
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