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鶴見哲学の中心へ
哲学と市民運動をまたぎ、戦後日本に巨大な足跡を残した鶴見俊輔。しかし、その平明な語り口とは裏腹に、思想の本質は捉えがたく、謎に包まれている。鶴見は今も読まれるべきなのか、もちろんそうだ。残された膨大な言葉の数々に分け入り、単純化を避けつつ独自の視点から思想の可能性をつかみ出し、現代の倫理として編み直す。鶴見俊輔生誕100年、気鋭の哲学者によりついに書かれた決定的論考。
?「鶴見俊輔の哲学に価値があるのだとすれば――私はあると思うが――、彼の言葉を、そんなよそよそしい位置に放っておかずに、深く、適切に読み解くことで、彼の知的遺産をきちんと相続した方がいい。私が本書で試みるのは、彼の言葉を深く解釈し、現代の私たちが生きうる倫理へと再編集することであり、その仕事を通じて、彼の哲学を知的遺産として批判的に継承することだ。まともに読み解くことなしに、鶴見の言葉を、私たちの時代の経験に変えることはできない。」(本書より)
◎目次
はじめに
導入 ハックルベリー・フィンと悪の自覚――エピソード、(再)編集、境界
一 「よし、それじゃあぼくは地獄へ行こう」
二 読み、つかみ、憶え、編集する――「語る」のではなく「示す」
三 鶴見俊輔の言葉を再編集するという方法
四 「根っこにハックルベリー・フィンの伝統が生きている」
五 「文明を横に観て、そのそばをすりぬけてゆく」
六 「二つの世界を往復する人間、境界線上に立つ人間」
七 「聞いている方にはわからない時もある」
八 「ちゃんと読む」という扱いを受けてこなかった思想家
九 本書の構成
鶴見俊輔小伝
第一部 書く、読む、書く
第一章 鶴見俊輔は、なぜ作文が知的独立性の問題だと考えたのか――生活綴方、想像力、アナキズム、期待と回想
一 天才と秀才はどう違うのか――桑原武夫の鶴見評
二 理論と実感の隘路――生活綴方と、一九五六‐五八年の鶴見
三 詩的想像力の方へ――佐藤忠男の生活綴方論
四 The Exactness is a Fake. ――言葉選びという倫理的課題について
五 アナキスト、ソローの森での生活記録――準拠枠としての過去
六 原体験への誠実さ――期待と回想
七 矛盾の認識から、矛盾の吟味へ
コラム1 消極的であることほど難しいことはない――ネガティヴ・
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